スクラップド・プリンセス
Story



旅の途中、立ち寄った温泉宿でベルケンス というマウゼル教の異教検察官と知り合う三 兄妹。正直、あまり係わり合いになりたくな い相手だが向こうの方からついてきてしまう。 そして次の街へと向う途中、四人は偶然、魔 法で隠された洞窟を発見するが…。

脚本    名田 寛
絵コンテ  坂本 郷
演出    園田 雅裕
作画監督  園田 雅裕



前回、馬車を売ってしまったカスール三姉兄妹。必然的に、その旅路は過酷なものとなっていく。隣国ギアット帝国との境に近い雪山で出会ったのが、三人に取って宿敵とも言えるマウゼル教会の異教検察官ベルケンス。その肩書きに反し、気のいいオヤジであるベルケンスに亡き父の面影を見たラクウェルとパシフィカは彼と仲良くなるが、その矢先に魔王ブラウニンを信奉する謎の一団の隠れ里に入ってしまう。そして、“廃棄王女”を名乗る少女、エルフィティーネが現れた・・・。

マウゼル教はラインヴァン王国のみならず、ダストヴィン大陸全土で広く信仰されている。ベルケンスの「マウゼル教に歯向かおうなんて連中は、もうほとんどいない」「異教検察官なんて、中央にとっちゃどうでもいい部署だ」という台詞からも、現在のマウゼル教の持つ力が推察できる。だがここに到るまでは、マウゼル教と異教徒との間には、血なまぐさい抗争や陰惨な弾圧の歴史があったらしい。そしてマウゼル教会はかつて異教徒と戦い、制するのに使用した戦力を、今は“廃棄王女の探索”に投入している。

一方、パシフィカ達が出会った“隠れ里”の人々はブラウニンを信仰している。ブラウニンは、マウゼル教では「創造神マウゼルとの戦いに敗れた魔王」だと言われている。だが、ブラウニンを信奉する人々は、「ブラウニンこそが本当の神で、マウゼルは悪魔だ」と言い放つ。まるっきり正反対だが、これは我々の世界にもよくある事である。

「すてプリ」の場合とは異なる状況かもしれないが、ある宗教を信じる民族が異教文化圏を制圧し、そこの住人を自分たちの宗教に改宗させた場合、土着の神は「悪魔」と定義される事が多いのだ。そこのレベルまでいかなくても、ある宗教の神が、別の宗教では違う役割を担っていたりする。本来、信仰の対象でないはずの『廃棄王女(エルフィティーネ)』が、この集落では巫女的な役割を果たしているのも興味深い。

ブラウニンに関しては、その他にもいくつか、興味深い台詞が語られた。魔法の源である“世界の揺らぎ”をもたらしたのがブラウニンである事。また「26体のドラゴンを率いてマウゼルと戦った」こと。ここで思い出されるのが、第二話に登場した巨大なカエルだ。少女に姿を変えて消滅したカエルを、ゼフィリスは「汝らが『ドラゴン』と呼んでいる代物だ」と言っていた。またゼフィリスと一体化し、“Dナイト”となったシャノンが垣間見せる「竜のような光」。ゼフィリスや“Dナイト”の正体自体が謎に包まれている現状だが、各人で今まで作中に出てきたヒントをパズルのように組み合わせ、“ドラゴンとは何か”“ブラウニンとマウゼルの関係”を推理してみてはいかがだろうか。

それでは恒例の魔法解説に行こう。まず第7話に続き、ラクウェルの口から魔法とは「自然現象や物質の状態に干渉したり、ちょっぴり変化させたり」するものだという解説がなされた。そしてラクウェルが伐採場で起こった木材の落下事故から人々を護るために使ったのが〈力天神(マグニ)〉。光に包まれた怪力の巨人を出現させるこの魔法は、主に戦場での力仕事に使用される物だ。
最大の特徴は半自立型である事。半自立型魔法とは、制御用の仮想精霊を組み込んだ炎や雷、水などの自然物質があらかじめ設定された姿(この場合は巨人)で出現し、目標を自動的に追尾したり、作業を自動的に行う魔法。「すてプリ」ワールドの魔法の中でも、高度かつ特殊なジャンルと言える。

さらに気になるのは、探査魔法で連れ去られたベルケンスの居場所を探ろうとしたラクウェルが、「どこにいるかわからないし・・・。変なのよ、この里・・・」と言っている事。ラクウェルほどの魔法能力の持ち主に影響をもたらす“何か”が、この里にはある。その“何か”をもたらしているものとは・・・。

最後に筆者の個人的な感想を伸べよう。廃棄王女を抹殺せんとするマウゼル教会と王国軍は、パシフィカの命を狙う敵である。だが異端検察官という、最も忌むべき存在であるはずのベルケンスは、パシフィカに取っては「助けずにはいられない、いい人」であった。そして「一介の軍人として、あくまで命令に従って廃棄王女を殺す」と言っている王国軍のルーク少佐には、作りたてのスープを届けてくれる奥さんがいる。
パシフィカを殺そうとする者たちは、命令通りに動く機械でも、本能だけで動く野獣でもない。家族を愛し、人間的な生活を営んでいる“普通の人”である。今までパシフィカの命を狙い襲ってきた刺客たちも同じであっただろう。(ただし、現状では人間かどうか明かされていない「ピースメイカー」などはこの限りではない)

その「普通の人々」が、所属する組織や集団、社会の“規律”や“大義名分”に触れた時。非力な十五歳の少女を殺すという行為に走ってしまうのだ。
その反面、第二話と第五話に登場したドイルのように、自分が正しいと信じて行った「廃棄王女の抹殺」を、十何年も引きずり続ける者もいる。人が、人ならざる者に変わってしまう恐怖。それが「集団の大義名分」の恐ろしさなのだ。

上ではパシフィカの敵である教会と王国軍について語ったが、それは「世界を正す」と言っている“隠れ里”の人々にも代わりはないのだ。「ごく普通の人間」を変えてしまう集団の狂気・・・。彼らが成そうとしている行為には、一体、どのような結末が待っているのだろうか・・・。



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