スクラップド・プリンセス
Story


突如停止したスキッド。それはナタリイの仕業だった。再度スキッドを動かそうと中枢部に向うラクウェルとセーネス。パシフィカはナタリイの行動に疑問を持ったゼフィリスから相談を受ける。だがその間にもナタリイはシャノンに対しての働きかけを行っていた。




王都に向かうパシフィカたちを足止めするため、スキッドを停止させたナタリィ。手動で再起動しようとしたシャノンたちに、ナタリィは洗脳をほどこそうとする。亡き父の面影を見せられたラクウェルは躊躇することなくその幻影を打ち払うが、シャノンはナタリィの洗脳に取り込まれてしまった・・・。

今回の話を見て、筆者はスイスの精神医学者、ユング(1875〜1961)の分析心理学を思い起こした。登場人物の内面世界が描きこまれている事に加え、物語が神話的スケールに拡大しているからである。 「神話と心理学が関係あるのか」と思われるかもしれないが、しばしおつきあいいただきたい。勿論、このコラムだけでユングの分析心理学を語るのは不可能なので、興味を持った人は、自分でも調べて欲しい。

ユングは自分の精神学を「分析心理学」と呼んだ。その大きな特徴は、「元型」という概念である。 精神科医でもあるユングは、神経症や精神分裂病の患者に治療にあたるうち、彼らの語る幻覚や妄想が、世界各地の神話や伝説に似ている事に注目した。太古の伝説など知らない患者が、なぜ似通ったイメージの幻覚を見るのか。

生まれた時代や場所が違う人間は、考え方もまったく異なるはずだ。だがユングは「人間が生まれた時から持っている、時代や民族を超えた普遍的なイメージ」が存在するのではないかと考えた。いずれの時代の、どこの場所に生きる人でも、共通して持つ同じイメージ。
それが「元型」である。

ユングは、場所も時代もバラバラな世界各地の伝説や民話が似通っているのは、この「元型」によるものと考えた。さらにユングは「元型」をキャラクター付けし、理解しやすくした。

たとえば「グレートマザー」は、人間が持っている「母性」の「元型」である。この「グレートマザー」は、人間を温かく包み込む存在であると同時に、子供を殺そうとする残虐な面も持っている。 「母性」が子供を殺すというと意外に思われるかもしれないが、神話や昔話には「子供を食ってしまう山姥」や、「子供を殺してしまう魔女」が確かに存在する。「母性」は命を生み出し、育む存在であるが、命の誕生とは、すなわち死の始まりでもある。また子供を保護する力が過剰になると、子供から生きる力と能力を奪う事になり、死をもたらせてしまう。これが「グレートマザー」が「子供殺しの一面」を持つ理由ではないかと考えられる。 「すてプリ」においては、パシフィカは自分を生み出した王家に命を狙われている。また本来、彼女を護る存在であるシャノンとラクウェルが、ピースメイカーの「律法」によって彼女を手にかけようとした第四話のシーンも非常に興味深い。

ユングの重視した「元型」には、男性の中にある女性らしさの「アニマ」、女性の中にある男性らしさの「アニムス」、成長の過程で切り捨てられた人格の「シャドウ」、知恵を授けてくれる存在であり、社会的にはみ出し者になる事の多い「トリックスター」、社会に順応するため、外面的に装う人格の「ペルソナ」などがある。

続いて、男女それぞれの中に存在する元型、「アニマ」「アニムス」について説明しよう。それにはまず、「ペルソナ」の説明からしなくてはならない。「ペルソナ」は「仮面」という意味であり、人が社会で生きるために、本来の性格の上に装おう対外的な人格である。仮面というと、「すてプリ」では、第9〜10話に登場したレナードが思い出されるが、彼に限らず、人は誰でも、仮面をかぶって生きているのである。

我々に取って最も身近な仮面は「男らしさ」「女らしさ」という仮面であろう。「男が男らしく生きるのは当たり前じゃないか」と思われるかもしれないが、実は「男らしさ」「女らしさ」とは生まれついての資質ではなく、文化的・社会的な仕組みの中で強制される資質なのだ。生物学的な雌雄の違いの「セックス」に対し、社会・文化的な男女の違いを「ジェンダー」と呼ぶ。そして人は、今自分がいる社会にあわせて「男性は男性らしく」「女性は女性らしく」というペルソナをかぶって生きているのだ。わかりやすく言えば、同じ日本でも、男が戦いで命を落とす事が多かった戦国社会と、命のやり取りをする事が少ない現代では「男らしさ」の価値は同一ではないのだ。

人が意識し、自分に課している「男らしさ」「女らしさ」が社会が定めたものであり、人間本来の資質ではない以上、どこかで精神的にバランスを取る必要があるのではないか。 そこでユングは、男性の夢の中に、特徴的な女性像が出てくる事に着目した。男性は心の中に女性らしさ「アニマ」を持ち、女性は心の中に男性らしさ「アニムス」を持っている。そして、「男らしさ」を強制される男性は自分の中にある女性イメージ「アニマ」と、「女らしさ」を強制される女性は自分の中にある男性イメージ「アニムス」と向き合う事により、精神的にバランスを取っていると考えた。 男性は大人に成長するにつれ、自分の中の「アニマ」を切り捨て、男らしくなってゆく。そして女性は、自分の中の「アニムス」を切り捨てて女らしくなっていく。しかし中年期になると、男女ともに「アニマ」と「アニムス」の統合が進み、その両方を受け入れやすくなると考えた。

また、ユングは、「アニマ」と「アニムス」は、それぞれ理想の異性像に影響を与えているとも考えた。つまり、男性には心の中に理想の異性像としての「アニマ」が、女性には「アニムス」があり、それに似ている人にひと目ぼれするのだという。また夫婦関係とは、夫、妻、 夫の中にあるアニマ、妻の中にあるアムニスの複雑な四角関係であるという説もある。

一見、「すてプリ」に関係ない話に思えるかもしれないが、「すてプリ」の中には、これまで述べてきた「神話の要素となる元型」が、キーワードとして組み込まれている事に気づかれただろうか。

また機会を改めて述べるが、「トリックスター」と呼ばれる「元型」も存在する。「トリックスター」とはいたずら者、詐欺師といった意味で、よく挙げられる例として、「吉四六さん」「彦一さん」といった日本のトンチ話がある。 これらの主人公が、殿様や金持ちをトンチでやりこめるように、「知恵を持って権力や体制を打破する」のが「トリックスター」の特徴である。「トリックスター」は無知である主人公に知恵を授ける役割が多い事から、「すてプリ」ではゼフィリスがその役割を担っているように見受けられた。だが、物語が進むにつれ、プロヴィデンス・ブレイカーであるパシフィカに、体制を打破する「トリックスター」的役割が推移してきた。 「知恵」や「知識」を武器とする「トリックスター」の規制概念に比べ、パシフィカはあまりにも無知である。「トリックスター」的な役割を担うパシフィカが、何を持って体制を打破するのかは、今後の物語のテーマとなるだろう。

このように、「すてプリ」を分析心理学に基づく神話的側面から見ると、興味深い発見がある。シャノンにとっての「アニマ」とは何なのか。ラクウェルにとっての「アニムス」とはなんなのか。 そして、パシフィカにとっての「廃棄王女」は、「元型」でいうと、何に相当するのか。また、ラクウェルがナタリィの見せた父親の幻影を振り払ったのに対し、母親の幻影を見せられたシャノンが洗脳されてしまったのは何故か・・・。その他、あなたなりの見方で、新しい発見をしてみてはいかがだろうか。




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