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王国軍に捕まってしまったパシフィカは一人、王城の地下牢獄に閉じ込められてしまう。隣の牢の女性と会話することで寂しさをまぎらせようとするパシフィカ。その頃、シャノンも王国軍のペータシュタール将軍に呼ばれ、王城にやってきていた…。
今回のテーマは「守る」という事にあると思う。パシフィカを守るために命を落としたフューレ。パシフィカを守れなかったレオとウイニア。自分と仲間の拠り所である《オブスティネート・アロウ》を守るため、パシフィカを捕らえたクリス。そして、パシフィカ自身も知らない所で、間接的にパシフィカを守って来たエルマイア王妃。 パシフィカを守ろうとしても居場所を見つける事すら出来ないシャノンとラクウェルを絡め、物語は大きく展開する。
「守る」という行為がなぜ尊いのか。それは「他人のためにリスクを背負う」からである。自分が安全圏にいては、他人を守る事など出来はしない。前回のコラムでも書いたように、レオは自分がパシフィカを守るリスクを、まだ軽く見ているきらいがあった。だが「約束したんだ・・・。あいつと・・・」という台詞にあるように、彼はしっかりフューレからパシフィカを守る事の《覚悟》を受け継いだようだ。それだけに、パシフィカを残して自分たちだけが釈放された(恐らくクリスの配慮とはいえ)のには、自分の無力さを思い知らされた事だろう。
一方、クリスはフォルシス王子が聖都グレンデルに追いやられると聞いて動揺する。物心ついた時から戦うだけの戦技兵であったクリスは、《廃棄王女》の運命に飲み込まれた家族の一人であるフォルシス王子と接する事により、人間らしさを思い出して行った。だが先週、パシフィカ達を包囲した際のクリスの目は、初登場時の「戦う機械」だった頃の目に戻っていた。ジルに「あなた・・・本当はどうしたいの?」と問われ、クリスの心は揺れる。
また、気丈に明るく振舞いながらも、唐突に「こんな辛い思いするんだったら、王都なんかに出てくるんじゃなかった」と泣き崩れるウイニア。彼女は故郷タウルスの町から一度も出た事のない少女だった。これまでの話の中で成長してきたキャラクター達が、それぞれの立場で試練に突き落とされる様が丁寧に描かれる。
パシフィカと実母であるエルマイア王妃の再会がメイン・プロットに置かれているが、それ以外のキャラクター描写にも注目したい。「今は黙って祈るしかないんだねぃ」と言うキダーフに対し、「神頼みなんて、只の時間の無駄遣いです」と言い放つラクウェル。第14話でナタリィに見せられた父親の幻影を、「冷たくなった骸を拭いたのも、火葬の火をつけたのも、この私」という台詞とともに躊躇いなく攻撃したように、窮地に追い込まれた時・・・すなわちパシフィカが危機に陥った時のラクウェルの覚悟は壮絶である。
また、すぐ後ろにいるにも関わらず、「エイローテェ!」と声を張り上げて呼ぶセーネスと、にこやかに返事をするエイローテ。微笑ましい場面の中に、二人の絶対的な信頼関係が垣間見える。30時間かかるはずのギガスの稼動を「3時間で済ませろ」というセーネスの要求に、エイローテがグッと構え直す仕草と、謎に包まれたギガスの存在に最終決戦の緊迫感が高まる。
一方、王国のペータシュタールは、ピースメイカーに匹敵する戦力を持つシャノンに協力を迫る。唯一ピースメイカーにとって脅威となりうる《廃棄王女》に加え、《ドラグーン》であるシャノンを交渉の手札にしようとする辺り、かなりの策士である。だが、「愚かな生き物の面白い行為が見られそう」と言い切るステアらピースメイカーに、ペータシュタールの策は通じるのだろうか。「私たちの人格モデルは、その残酷で意地の悪い人間なのよ。忘れないでちょうだい」というステアの言葉が皮肉である。
クライマックスとなるのは、パシフィカとエルマイア王妃の再会シーン。前回のフューレの最期と同じく、野暮な解説は不要だが、あえて筆者が感動した事を書かせていただく。
第14話において、パシフィカの育ての母キャロルは、赤ん坊であるパシフィカを引き取る際、その子に名がない事を聞き、「名前も付けてやらないなんて・・・」と、その場にはいないエルマイア王妃を責め、「たくさんの人に好かれるように」という願いを込めてパシフィカと名付けた。だがエルマイア王妃は、「名前も付けてやらなかった・・・。付けてやれば、もう手放せなくなりそうで」と苦しい胸の内を吐露する。願いを込めて名を付けた母。 哀しい運命の為に、名をつけられなかった母。立場さえ違えど、この二人の母の子供に対する想いはあまりに尊い。
牢獄の壁に隔たれ、互いの顔も見る事が出来ないまま、15年の歳月を埋めるかのように二人は語り合う。「あなたがいろいろな人と楽しそうに暮らしている所を見たかったわ」「いつかまた会える日が来るように、ずっと祈っていたの」「もう誰かを好きになる年になったのね・・・」というエルマイアの言葉は、パシフィカが彼女を母と認識していないだけに切ない。ただ、そんなパシフィカが「ゆきずりのおばさん」のために涙を流せる純粋で優しい少女に成長していたのが、エルマイアへのせめてものたむけだろう。
エルマイアが最期にパシフィカに出会う事が出来たのを、ずっと娘の事を想い続けてきた報いと見るか。最後まで母娘として再会できなかったのを、子を捨てた罰と見るか。それは人それぞれだろう。いずれにしても、はっきりしているのは高く小さな窓から差し込む陽の光とともに、エルマイアは人間の醜いしがらみとは関係ない安らぎの中へ旅立って行ったという事だけだ。最期にパシフィカが「お母さん」と呼ぶ声は、彼女に届いたのだろうか。
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