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運命の日まで残すところあと数日となった。そんな折、聖都にいるフォルシスのもとにクリスが訪ねてくる。フォルシスに対して別れを告げるクリス。クリスたちが廃棄王女と共にいると聞き、驚くフォルシスだったが、生き別れになった妹への思いが再び募りだす…。
物語は幼きパシフィカの誕生日から幕を開ける。母キャロルが床についたままである所を見ると、彼女が逝去する間近だろうか。迫り来る悲劇の影を微塵とも感じず、幼きパシフィカが朗らかにロウソクの日を吹き消そうとした瞬間、画面は現実にカットバックする。
夜明けの山岳地帯では、ファファルら《オブスティネート・アロウ》の少年少女たちが、パシフィカの居場所を嗅ぎつけた王国軍兵士たちを片付けている。パシフィカの誕生日を控え、彼女の潜む山岳地帯を包囲する王国軍。確実にプロヴィデンス・ブレイカーを消去するため、「使者を使う」と言い放つソコム。廃棄王女がいる限り、戦いが起こり、死人が出るという哀しい現実は変わらない。だからこそ、パシフィカが生きる為には「勇気」が必要なのだ。
パシフィカにとって15歳最後の・・・そして、世界にとっても最後になるかもしれない朝日を見つめるパシフィカとシャノン。「明日の朝、お日様が昇ったら・・・私はどうなっているんだろ」と言うパシフィカに対し、「不味い朝飯を作ってんじゃねぇか?」と答えるシャノン。殴る素振りを見せながら、よけようとするシャノンを見て、腕を振り下ろすパフィフィカの仕草が微笑ましい。
前々回、あれだけ激しく生き抜く決意をしたものの、「もしかして世界中の人に迷惑かけちゃうかも。でもやっぱり私、死にたくない。それってワガママなのかな」と弱気になるパシフィカ。ファファルたちに倒された王国軍兵士の死体が地面を埋め尽くす描写が、彼女の気持ちの揺らぎに説得力を与えている。そんなパシフィカに向かい、「オレが許す」と言い放つシャノン。そして、『世界の破滅が明日に迫った朝』が、いつもと変わらぬ平凡な一日であるかのように、朝食が出来た事を知らせるラクウェル。運命の直前まで。パシフィカの心を支えるのは、やはり家族であった。
物語の終焉を前に、壮大なドラマが展開するが、ここではパシフィカ&レオ、ウイニア&クリスという、二組の“恋人未満”カップルに着目してみよう。 ベルケンスにフォルシスとの面会を求められ、思い悩むパシフィカの前に、スーピー君の着ぐるみ姿で現れるレオ君。 出会ってすぐに、レオが騎士道について悩んでいた事を思い出したパシフィカは、彼に「なんかわかった?」と問う。その問いに対し、レオ君は、「実はまだ・・・」と浮かない顔で返事をする。その後、「結局、僕はパシフィカさんを守りたいだけなんです」と言い放つ。
一方、ウイニアから、パシフィカがフューレの記憶を失っている事を聞かされたクリスは「人って、辛い事ほど忘れてしまう生き物だって聞いた事があるよ。忘れるから生きて行けるんだって」と言い放つ。この言葉は、親しい人を亡くした経験のある方には重く響いたのではないだろうか。亡き人の思い出がしだいに記憶の中で薄らいでいき、その人を思い出す時間が減っていく事は一見、薄情なように思える。だが人は、死者への未練と悲しみに囚われていては日常を生きられない。「忘却」は人間に取って必要な物なのだ。
続けてクリスは、王都でウイニアを無視した事を謝罪する。彼女をトラブルに巻き込みたくないための行為だったと。ウイニアを守る為なら、無視された彼女の気持ちや、自分の感情を押し殺せる。それがクリスの強さなのだ。
誰かを守るため、その人との接触を絶つ覚悟すらあるクリスと、とにかく側にいる事で愛情表現をするレオ。対称的な二人だが、実は最終回を前に見せた彼らの立ち振る舞いは、番組開始時のそれと大きくは変わってはいない事に気づかれただろうか。 二人はパシフィカと出会ってから、様々な人と出会い、規制の価値観を揺るがされる経験を積み、精神的に成長した。精神的成長というと、前に持っていた価値観が破壊され、考え方が大きく変わってしまうような印象があるが、現実世界を見てもわかるように、人の考えはそうは変わらない。
「パシフィカの側にいたい、彼女を守りたい」というレオの言葉は、初対面の時から変わらない。だが、誰もが信じられる、ただ一つの正義を追い求めていたレオは、「正義とはただ一つではない」事を知った。人によって正義が違うからこそ、彼は自分の中の正義を追い求める事の大切さに気づいたのだ。 クリスも、フューレを忘れたパシフィカを憂うウイニアに対し、「でも、その人の事は、君が覚えているんだろう」という配慮を見せた。 同じような言動を見せながらも、幼少時に親や周囲の大人に押しつけられたルールや考えに従うのではなく、そこには自分の経験の裏打ちがある・・・。それこそが、少年期の成長と言えるのではないだろうか。
このように、「すてプリ」は異なる生き方をしている二人の人物を対比で描く事が多いが、今回は特に色濃く出ていたと思う。神を盲信してパシフィカを殺そうとする者たちと、世界を敵に廻してパシフィカを守ろうとする者たち。戦場からの帰りを待つ妻のいるルークと、家族のいないペータシュタール。そんな中で、最も対比が際立つのはパシフィカとフォルシスである。
同じ母から双子として生まれながら、全く異なる人生を歩んできた兄妹。王子として両親の元で育ちながら、家族のぬくもりを知らず、エルマイア王妃とバルテリク国王亡き今、一人ぼっちのフォルシス。廃棄王女として世界中に追われながら、「いろいろ大変な事があったけど、それだけじゃなかったし・・・」という言葉通り、家族と友人の温もりに包まれているパシフィカ。この二人は、世界の存亡を賭けた戦いの中で、ともに「力を持たない」という点で共通している。
それを考えると、パシフィカを殺し、自害しようとしたフォルシスの行動も理解出来る。フォルシスが大聖堂の床を埋め尽くす難民たちを見て言葉を失うシーンは、前述の、パシフィカが生きる事に対して弱気になる朝のシーンと、まさに対を成している。フォルシスには「それでもお前は生きていていいんだ」と言ってくれる家族がいなかった。自分を無条件に肯定してくれる家族がいなかった。そして何よりも・・・。彼はパシフィカのように「強く」成長する機会を与えられなかった。
前々回、シャノンに生き抜く事を誓うまで・・・。パシフィカもまた、自分のために世界が滅ぶのなら、いっそ死んでしまった方がいいのではないか・・・。そのような考えに囚われていた。彼女は決して、楽観的に生きてきた訳ではないのだ。もがいて、苦しんで、その中で生きていく事を選択した。それが彼女の戦いであり、その代償として彼女は「生きる意欲」を勝ち取った。すなわち「誰かに決められた廃棄王女」ではなく「他の誰でもない、自分自身」へと成長したのだ。
様々な経験を積み、戦い、成長したのはパシフィカだけではない。前述のようにレオやクリス、そしてウイニアやシャノン。そして「ずっと、この世界を変えたいと思っていた・・・(中略)でも、この世界も悪くはないのかもな」というセリフに象徴されるように、セーネスもまた、生きるための戦いの中で経験を積んで成長していたのである。
たとえ洗濯しか出来なくても、それがパシフィカの戦いなのだ。すなわち生き抜く事が彼女の戦い。それに対し、自分が何も出来ないが故に、唯一の手段として、死を選んだフォルシス。同じ双子ながら、この二人の選んだ道は、あまりに対称的である。 生まれた時にすでにあった物を奪われるだけで、新しい人や物と出会う事もなく、「強く」成長する事が出来なかった・・・それがフォルシスの、真の悲劇ではないだろうか。
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